預貯金を相続しない相続人でも、口座の取引履歴を取得できるか。
Q:父が亡くなりました。相続人は兄と私の二人だけですが、兄に全遺産を相続させる旨の遺言が存在します。父は生前にも兄に多額の財産を贈与していた疑いがあり、それを調べるために父名義の預貯金口座の取引履歴を取得したいのですが、預貯金を相続できない私でも、取引履歴の開示を求めることはできるのでしょうか。
A:理論的には解釈が分かれているところですが、実務上は、一定数の金融機関が取引履歴の開示に応じています。仮に開示を拒否された場合でも、可能な限り開示に向けて交渉すべきです。
1 預貯金の取引履歴を取得すべき理由
被相続人名義の預貯金は、相続開始時点(死亡時点)での残高が遺産になるのが原則です。しかし、生前に預貯金の一部が相続人に贈与されていれば、特別受益として遺産に持ち戻すことにより、遺産分割や遺留分の計算において考慮する必要があります。このような生前贈与の有無等を把握するためには、預貯金の取引履歴を取得することが必要です。
また、遺産の全容が明らかでない場合には、預貯金の入出金履歴を確認することにより、不動産の賃料収入や株式、保険等の他の遺産を把握する契機になることもあります。
したがって、遺産調査において、預貯金の取引履歴を取得することは非常に有用といえます。
2 取引履歴の取得方法
相続人であれば、単独で、金融機関に対して、被相続人名義の預貯金口座の取引履歴の開示を請求することができます(最高裁平成21年1月22日判決参照)。取引履歴の開示を求めるのみであれば、他の共同相続人の同意を得る必要はありません。
金融機関によって実務的な手続は異なりますが、おおむね、金融機関に対して取引履歴の発行依頼書を提出する必要があります。その際に、被相続人の除籍謄本及び相続人の戸籍謄本・印鑑登録証明書を提出し、発行手数料を支払うことにより、取引履歴を発行してもらえるケースが多いです。
なお、開示の対象となる期間も金融機関によって異なりますが、開示請求時点から過去10年以内のものに限られることがほとんどです。
3 預貯金を取得しない相続人であっても、開示を請求できるか。
設例のケースのように、遺言によって、特定の相続人に預貯金をすべて相続させることになっていた場合、他の相続人は預貯金を一切取得することができません。このような預貯金を取得しない相続人であっても、被相続人名義の口座の取引履歴の開示を請求できるのでしょうか。
平成30年の民法(相続関係)改正以前は、預貯金を取得できない相続人が遺留分減殺請求権を行使した場合には、遺留分に応じて預貯金の一部が当該相続人に帰属します。したがって、預貯金契約上の地位も当該相続人が取得することになり、取引履歴の開示を請求することができると考えられていました。
しかしながら、平成30年の民法改正によって、「遺留分減殺請求権」は「遺留分侵害額請求権」に改められました。これにより、遺留分侵害額請求権を行使したとしても、遺産(預貯金)の帰属自体には影響せず、遺留分侵害額に相当する金銭を請求することができるにとどまることになりました。
そうすると、預貯金を取得しない相続人は、遺留分侵害額請求権を行使したとしても、預貯金契約上の地位を取得しません。そうすると、預貯金契約上の地位に基づいて取引履歴の開示を求めることはできないのではないかとも考えられます。
4 実務上の対応
本論点に関して判断した最高裁判例は存在しません。
もっとも、「遺言により特定の共同相続人に預金債権の全部を相続させることとされても、預金契約上の地位まで当然に相続させるものでない以上、他の共同相続人は取引経過開示請求権を行使し得る」と指摘する文献も存在するところであり、現在の実務上は、一定数の金融機関が、預貯金を取得しない相続人からの取引履歴の開示にも応じている状況です。
したがって、預貯金を取得しないからといって、最初から取引履歴の開示請求を断念するべきではなく、開示に向けて金融機関と粘り強く交渉を行うべきでしょう。
以上